2023年08月15日

神とは「畏きもの」という感覚



とても閃きを感じる動画でした。
浜崎洋介さんのことは存じ上げませんでしたが、言っていることがすごく刺さりました。

〇死を考えると逆に良いことは、その後は余生になること。
余生になると社会に合わせるとか(大事な人以外の)他者に合わせなくてもよくなる。

〇抽象的なシステムに合わせるのはもういい。

〇内的自己と外的自己がある。

〇受験勉強はツールとして使うには良いが、それ自体を目的にした時、あんな内的自己を犠牲にするするものはない。

〇日本は内的なエネルギー・生命力を押し殺すことを良しとしたところからすべてが始まっている。

〇英語で「〇〇しなくければならない」という意味の言葉にHave toとmustがある。
mustは自分の内側からしなければならないということ
have toは外側からくるもの

〇哲学者ウィトゲンシュタインは
「すべての社会システムは言語ゲームだ」と言っている。
ゲームとはプレイするもの、つまり遊び。

〇本物に合った時、自己の小ささを知って畏れる。畏れ多いから礼儀を正す。
それから神の定義ではないか。


こんな言葉に興味を持ったら是非動画を見てください。



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Posted by はなとおん  at 13:20 │Comments(0)その他

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