2022年12月22日

「無分別」で見る、と思っても・・

「無分別」と言うと「考えのない人」という意味もありますが、

元々は仏教語で「分別しない」ということです。

「主体と客体の区別を越え、対象を言葉や概念によって把握しないこと」と辞典にあるそうです。

見たもの、聞いたものを自分の思いで判断しないこと、なのかと自分では思っています。

「児童公園が近所の人のクレームで閉鎖された」と言うような記事を見ると
それだけで勝手な想像をしてしまいます。

そうなるには一言で説明のつかない経緯があったかもしないことにすぐには思いが至りません。


何かがある時、そこにはその原因とそれに至る経緯や縁があると考えるようにしようと思っています。


今朝の横田南嶺老師の「管長日誌と呼吸瞑想」を聞いてほしい人がいます。
でも、それは他人ではなく自分自身かもしれない、とも思いました。



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Posted by はなとおん  at 11:48 │Comments(0)その他

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